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“死ぬまで生きろ”との強いメッセージを感じた、RADWIMPS のスーパーアリーナ

RADWIMPS | 2011.05.13

 

『絶体絶命』――。
彼らは6枚目となるこのアルバムを引っさげ、4月1日の郡山Hip Shot Japanから全国ツアーに出発する予定だった。
 ツアータイトルは『絶体延命』。このツアー名は、今年の1月につけられたという。

 絶体延命という言葉は、3月9日にリリースされた『絶体絶命』の製作中に、このアルバムを通して彼ら自身が感じた“生きる力”だったのかもしれない。
 絶体絶命から絶体延命。
彼らは、ここから“死ぬまで生きろ”という強いメッセージを発しようとしていたのだと、この日ライヴを見て思った。

 今回のツアーは福島、山形、岩手、宮城とまわり、そこから北海道へと移動するはずだったのだが、3月11日に起こった東北地方太平洋沖地震により、前半4カ所5公演を見送ることになったのだ。まさに震源地となった東北地方を幕開けとしていたこともあり、彼らが掲げた“絶体延命”というワードは、この時期だからこその深い意味を持つものとなったのだ。
偶然とは思えないワード・絶体延命。2年間に渡る製作期間は、彼らがこうしてライヴで音を放っているこの瞬間のためのものだったのだろう。幸せなときに生まれる唄や曲もなくはないが、この世の中が幸せばかりで出来ていたら、きっと彼らは唄を歌う事はなかっただろう。きっと彼らは音を奏でることはなかっただろう。
そして、この名盤『絶体絶命』を産み落とすこともなかっただろう。幸せになりたいから。幸せでいたいから。苦しいけど、生きたいと願うから。自分が言いたくても上手く言葉に出来ないから。だから多くの人は彼ら――RADWIMPSの唄と音を求めるのだろう。そしてまた彼らも、そんな人たちに向けて、更なる想いを届けたいと強く願うのだろう。

 絶体絶命から絶体延命。

この言葉は本当に背中合わせに居ると思う。  そう感じさせてくれたのも、この日のライヴだった。

 彼らのライヴを見たのは、ツアー初日となった4月12日の函館公演から7本目のさいたまスーパーアリーナ。この場所では2日間ライヴが行なわれたのだが、彼らはこの広さならではの見せ方で『絶体絶命』の世界観を存分に表現しきってくれたのだった。この広さの中で、彼らの唄を音だけが真っ直ぐに心に届く。そんな瞬間に吸い込まれていく感覚がとても心地よかった。

 透明な野田の声が曇りのない音の上を転がるように美しい景色を描き出した「透明人間18号」。音をここまで“綺麗だ”と感じさせてくれるとは、さすがである。飾られることのない裸の心を、テクニカルな演奏で包み込んだ音楽性の高さに驚かされる。彼らは真摯に音を届け、その音をオーディエンスはしっかりと胸に受けとめた。とても美しい関係性だ。曲間でオーディエンスによって叫ばれるメンバーの名前。野田はそんなオーディエンスの声にふと、こんな言葉を返した。

「名前呼ばれる度に思うんだけどさ、母ちゃんはこんなにたくさんの人に呼ばれるとは思っていなかっただろうなって」(野田)

 会場からはクスリと笑いが起こった。息をするのを忘れてしまうほどのサウンドをぶちかましていたかと思うと、こんなのほほんとした言葉をぼそりとこぼす。そんな人間臭さももちろんRADWIMPS。いや。むしろ、そんな彼らだからこそ、だからこその説得力があるのかもしれない。

「東北からの予定だったツアーが途中から始まるかたちになってしまいました。今回の地震で、大事なモノがより大事になりました。大事じゃなかったモノが、たくさん大事に思えて、大切な人をより大切に思うようになりました。みんなも、大切な人を世界で1番幸せにしてあげて下さい???」(野田)

 彼らはこの日、この言葉を音と唄に変えて届けたように思う。  ステージに向かって力強く伸びた手と彼らに送られた大きな歓声、彼らとオーディエンスが重ねた歌声に、改めて音楽の必要性を感じたのだった。そして今、この時期にこのアルバム『絶体絶命』が産み落とされた必然性を感じた夜だった。

【撮影:古渓一道】
【取材・文:武市尚子】

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リリース情報

絶体絶命

絶体絶命

2011年03月09日

EMIミュージックジャパン

1. DADA(dadadada Ver.)
2. 透明人間18号
3. 君と羊と青
4. だいだらぼっち
5. 学芸会
6. 狭心症
7. グラウンドゼロ
8. π
9. G行為
10. DUGOUT
11. ものもらい
12. 携帯電話(Cat Ver.)
13. 億万笑者
14. 救世主

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